60代・70代から「不幸になる人」の共通点 大きなお世話だわ!

こんにちは、まつ毛はエクステしてるケチ子です。

ケチ子は元の職場が堅い職場だったので、働いていた時は地味だった。だから仕事を辞めてからは髪の毛を明るく染めて、まつ毛をエクステでクリっとさせた。するとあら不思議!なんかお目目がぱっちり、地味目なお顔も華やいだ感じに(あくまで本人の感想です!)。自分で言うのもなんだけど、65才よりは若く見えると自負してるよ。昔は、なんか年寄りになって派手な恰好をしてると、若作りとか蔭口を叩かれたけど、今の時代はいい意味で個人主義。はたからとやかく言われることなく、好きにできるのがいいね!

今日は精神科医和田秀樹さんの提唱する「 「老いてからの人生は、家族があきれるぐらい奔放なほうがいい」というお話。

現代ビジネス「 60代・70代から「不幸になる人」には、じつは“意外な共通点”があった…!

60代、70代の不幸になる人の共通点は、 「欲は捨てて、穏やかな日々を送ろう」とか、「孫の面倒を見て、若い人に愛される年寄りになろう」、「少しずつ身のまわりを整理して迷惑をかけないように人生を終えよう」…… など、物分かりの言い振りをしてしまい、結果、せっかく定年後に手に入れた自由な時間を無駄に過ごして、そして、いよいよ体が動かなくってきた頃、自分はやりたいこともせず年を取って後悔するっていうことらしい。(記事を読むと題名の「共通点」なんて書いてなかったよ。ケチ子なりに解釈した)

ケチ子は65才まで働くことができたけど、再雇用は断った。大学卒業後から産休、育休以外はほぼ休まず働いてきた。忙しいときは、子供を保育所に迎えに行って、また職場に戻って働いたこともあった。自分なりに精一杯働いてきたから、60才でもう十分と思った。そして60代は好きなことをして過ごそうと思った。

今は平日の料金が安い時を狙って、あちこち旅行に行ってる。ハワイだって7泊9日という長めの滞在。働いていた時は、休みを貰うにも周りに気を使ってたから、ホント今は幸せ。でも、それができるのは、経済的な裏打ちがあってこそ。年金を貰うまでの5年間は貯金の食いつぶしだし、これからだって年金だけじゃ全然足らないからアパートの収益の一部は生活費の足しにする予定。もしケチ子が年金以外の収入がない状態で定年になったとしたら、多分数年は働いていたと思う。給料以外の収入があったから、貯金も殖やせたし、使ってもまた入って来ると思うと安心感があるよね。

「欲は捨てて、穏やかな日々を送ろう」とか、「孫の面倒を見て、若い人に愛される年寄りになろう」、「少しずつ身のまわりを整理して迷惑をかけないように人生を終えよう」…… など、物分かりの言い振り と、言ってるけど、本当にそうなのか?そうするしかない経済状況だったら?

60代、70代は好きなことができる体力、気力がある時。その好きなことをするためには、やはり50代にイメージを持ち、必要なお金を用意できるようにしておかなくちゃならないってことじゃない?ケチ子のように60で準備ができれば、60で仕事を辞めればいいし、65才、70才とそれぞれの事情に合わせればいいってことだと思う。それに、 「欲は捨てて、穏やかな日々を送ろう」とか、「孫の面倒を見て、若い人に愛される年寄りになろう」、「少しずつ身のまわりを整理して迷惑をかけないように人生を終えよう」 って考えること自体、不幸って決めつける必要もないと思う。それで幸せを感じるなら、他人がとやかくいうことじゃないよね。

ちょっと和田秀樹さんの主張にイラっときたケチ子でした。灘高から東大医学部というエリート街道まっしぐらの人で、すでに大学時代から学習塾の経営など複数の仕事を持ち稼いできた人に、庶民の金銭感覚が分かるのか?って思ったよ。庶民は、庶民なりに自分の持ってるお金と相談しながら、幸せに暮らしているんだよ。その暮らしぶりを「不幸」って思うのは勝手だけど・・・ケチ子はたくさんの現金は持ってないけど、幸せに暮らしてます!

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